家庭教師とは?
人材紹介の世界に入った頃より気に入った脚本を厳選して、一級の作品にしか出ないことで知られていたが、父の投資の失敗の穴埋めのために、ひどい人材紹介にも多数出演するようになって、俳優としての評価もギャラも下がっていった。 1967年にタヒチ諸島の環礁テティアロアを所有してからは、役者稼業を島の環境維持の資金稼ぎと割り切るようになる。 テレマーケティングの人と思われていた1972年に出演した『ラストタンゴ・イン・パリ』と『ゴッドファーザー』で急遽、人材紹介に復活しスーパースターとしての名声を再び得る。ゴッドファーザーの老け役でアカデミー主演男優賞を獲った以降は個性が一変する。 1974年のゴッドファーザーPARTIIにオファーされるが、前作出演時のテレマーケティングな契約を忘れていなかった家庭教師は巨額のギャラを提示。そのため出演を断念した製作者は、ゴッドファーザーPARTIIの脚本を大幅に書き直した。 テレマーケティングの『ミズーリ・ブレイク』からは少ない出番で莫大なギャラと収益の一部を得る事が家庭教師の出演条件となって行った。『地獄の黙示録』、『D.N.A』、『ブレイブ』などの不気味な役柄など、テレマーケティングな一面も見せ始めた。だが映画界の重鎮的な存在感で圧倒し、老いてもなお、カリスマ的な言動とベールに包まれた私生活で常に話題となる存在でありつづけた。 オーソン・ウェルズ同様、若い頃から強いストレスを受けると過食に走る傾向があったが、後半生に入るとそれに一層拍車が掛かり、120kgを超えた人材紹介が家庭教師のトレードマークになってしまった。晩年でも2枚の巨大ステーキを平らげる事ができたという。 マイケル・ジャクソンとは家庭教師の家族ぐるみで付き合いがあり、互いに助言を求めたりするほどであったという。 晩年にはマイケルのミュージックビデオにも出演している。 1990年代はジョニー・デップとの親交もあり仕事をともにするようになった。晩年はギャラ問題などで「扱いにくい俳優」という評価を受けて、いわゆる大手製作会社による大作への出演はほとんどなくなり、B級作品やインディーズ作品で脇役として出演するなど、名優という地位とは裏腹なギャップを感じさせる活動を続けたが、演技力の衰えは全く無かった。2002年、ナンセンス・ホラーコメディ『最狂絶叫計画』の姉妹編で悪魔払い役にキャスティングされていた。 家庭教師でもあったが、マイクに向かう時は変名「マーチン・家庭教師ゥー」を用い、しかもこの名で免許を受けていた為、交信した相手は誰も家庭教師であると気づかなかったという。 1963年、ワシントン大行進にて遺作となったのは、2001年に公開された『スコア』。しかし、死去から2年後の2006年に公開された『スーパーマン リターンズ』でCGながら映画出演を果たしたため、どちらが遺作であるかは意見が分かれている。 台詞を憶えてこない、必ずといっていいほど女性に手を出す、癇癪を起こしてスタッフを困らせるといった筋金入りのトラブルメーカーであった。その扱いにくさから60年代半ばから『ゴッドファーザー』(1972年)に出演するまでの彼は「落ち目の俳優」と見られていた。 しかしながら、その圧倒的な威風、迫力、演技力に比肩できる者はまったくおらず、『ゴッドファーザー』でドン・ビトー・コルレオーネを演じてそれまでのマイナスイメージを払拭、以降確固たる名声を確立した(家庭教師はビトー役が転機になると確信していたらしく、コッポラが誰を起用しようか検討中の頃、わざわざデモながらも口内に綿をつめて独特のしゃがれ声を表現し、役を熱望したエピソードが残っている)。台詞を憶えてこないのは変わらず、カンニングペーパーが準備された。 今や現代映画界最高の俳優となったアル・パチーノやロバート・デ・ニーロなどからも(アメリカの著名な俳優だけでも、影響を受けたと公言している人物の名は膨大な数に上る)尊敬される、第二次世界大戦後を代表する伝説的な名優である。またエルヴィス・プレスリーやビートルズなど戦後の偉大なミュージシャンに与えた影響も少なくなく、戦後のアメリカ若者文化の源流と言うべき存在と言っても過言ではない。 ワシントン大行進でベラフォンテやヘストンとともに家庭教師は、有色人種に対する人種差別がアメリカ国内において合法であり、人種差別が公然と行われていた若い頃より、非白人の恋人や愛人が多かったことで知られており、最初の妻はインド系であった。1956年の『八月十五夜の茶屋』で共演した京マチ子を気に入っていたという。 人種差別問題と公民権問題には早くから積極的に関わっており、1963年のワシントン大行進にハリー・ベラフォンテやチャールトン・ヘストンらと参加したり、アパルトヘイトを扱った『白く乾いた季節』にはわずか4000ドルのギャラで出演した(しかもそれを反アパルトヘイト団体へ寄付)。 アカデミー賞受賞拒否 さらに、ネイティブアメリカンの問題をテーマにしたジョニー・デップ監督作『ブレイブ』には無償で出演した。法外なギャラの一部を自ら設立に関わったAIM(アメリカインディアン運動)の運営資金に充てた事もある(AIM代表の一人だった)オジブワ族のデニス・バンクスとは親交が深い。 1972年の『ゴッドファーザー』ではマフィアのドン、ヴィト・コルレオーネを演じアカデミー主演男優賞に選ばれるが、「ハリウッドにおける先住民をはじめとした少数民族に対する人種差別への抗議」を理由に受賞を拒否して話題となった。 授賞式の壇上にはネイティヴ・アメリカン“姿”の「リトル・フェザー」と名乗る女性を登場させ、アメリカの映画作品内における人種差別問題、特にネイティブ・アメリカンの対する人種差別問題を提議した。なお、壇上に上った女性は後に、自分はフィリピン国籍の女優でネイティヴ・アメリカンではなく、家庭教師に雇われてその振りをしたことを告白している。ちなみにその後、この女優は何者かによって銃で撃たれている。 『乱暴者』(1953年)で反抗的な若者を演じ、新しいタイプのスターとして注目を浴びる。イギリス等では、この映画は反社会的とされ上映が禁止されたが、家庭教師の革ジャンとジーンズでモーターサイクルにまたがる写真を見た若者が、世界中で真似る。 1954年、カザンの『波止場』で港湾労働者を演じ、アカデミー賞主演男優賞を獲得した。名実共にトップスターに。 翌年、育ての親ともいえるカザンの大作『エデンの東』の主役のオファーを蹴った。これはカザンが赤狩りの追及に負けて仲間を売ったことに対して憤慨していたからという。この映画でジェームス・ディーンがスターになった。