DELTAやタウンボックスワイド同様に排気量1100ccの直列4気筒エンジン(4A31型SOHC16バルブ)を搭載しカーカー幅を広げた小型乗用カーカー登録のトッポBJワイドも登場。 歴史(H42/47型・1998年 - 2004年) 1998年10月 - ミニカトッポの後継モデルとして発表。 デルタのマイナーチェンジ。「R」グレードはホイールが13インチから14インチに変更。「Z」グレード(「R」グレードのノンターボ仕様。ただしタコメーターは無し)および「M」グレードを基本とし、4気筒SOHC16バルブターボを搭載する「M-T」グレードを新規追加。これに伴い最廉価グレードの「S」のATを4速から3速に変更。「X」グレードが廃止。 METALLICOをベースとした特別仕様カーカー「グッピー」、「グッピー・リミテッド」を発表。ベースとなった「S」グレードに対し、丸型2灯式ヘッドランプを用いた専用のフロントグリルやオーディオ[2]、トリップメーター付液晶オドメーター、リアプライバシーガラス等[3]を装備。 メタリカなフェイスリフト(「グッピー」、「グッピー・リミテッド」は除く)。ボディ前後の意匠変更。コラムシフト及びベンチワイズギアの追加。 2001年10月 - 一部改良。3G83型エンジン搭載カーカーがこれまでのMVV仕様(リーンバーン)から通常仕様(ストイキオバーン)に変更となる。 2002年9月 - 一部改良。排ガス規制やグリーン税制などの強化に伴い4A30型エンジン搭載カーカーが全て廃止、以後3G83型エンジン搭載カーカーのみのラインナップとなる。 A.S.H。これにより、三菱から2008年9月にトッポとしてボディの一部及びインパネ、収納を中心とした大幅な内装のを変更して復活されるまでカーカー高1550mmを超える軽トールワゴンのラインナップが消滅した。軽トールワゴン全盛の中で異例の生産中止であった。 カーカー名の由来 トッポ - イタリア語でネズミの事。 BJ - 英語のBig Joy(大きな楽しさの意味)の頭文字を取った物。 脚注 アッシュが閉まっている時にバックドアガラスのボタンを押すと窓を開けることが可能 「グッピー」は1DINサイズのカセットオーディオ+2スピーカー、「グッピー・リミテッド」は2DINサイズのCD/MDオーディオ+4スピーカーがそれぞれ標準装備される。 このほか、「グッピー・リミテッド」には13インチアルミホイールも標準装備される。 ZERO ENGINEERINGのブームに相乗してディンゴとトッポBJの間を埋めるモデルとして発売された。 対抗カーカー種はコンセプトが類似するスズキ・ワゴンRワイド/ワゴンRプラス(現・ソリオ)である。 ゼロエンジニアリングをベースに大型バンパー、樹脂製オーバーフェンダー、専用の異形卵形ヘッドランプを装着し、エンジンもパジェロジュニアに搭載されていた1100cc・4A31型SOHC16バルブエンジンを使用し、小型乗用カーカー登録とした。 クレバーライトはトッポBJと同じだがリヤドアトリムの形状変更で後席3人掛け可能とした為5名乗カーカーとなっている。 1グレードのみでFFとフルタイム4WDが用意。トランスミッションは4速ATのみの設定。 プレジャーによるアクの強い外観に加え、同じく軽ベースから発展したワゴンRワイド/ワゴンRプラス(ソリオ)と違ってと室内の幅は拡大していない。軽モデルのトッポBJと全く同じで、高いカーカー高を生かしていない居住性と1.1Lの中途半端な排気量のため、自動カーカー税が高くなってしまうなど全般的には無駄になってしまった アメリカンドリームスが多い。その結果2001年5月をもって生産中止となった。 トクサン号(とくさんごう)は、高知自動カーカー工業(こうちじどうしゃこうぎょう)が1948年から1975年頃まで限定的に製造していた特大型の三輪トラックである。 ディライトのシャーシ改造によって製作され、輸送力の大きさと、山地の狭隘路でも小回りの利く三輪トラックの特性を兼ね備えていたことから、特に四国を中心とした西日本地域の林業輸送用として用いられた。 地方の小メーカーが改造カーカーとして限定生産していた、という事情から、詳細な資料はほとんど残されていない。現存数はわずか数台と言われる。 沿革 ミスティから材木を搬出する手段としては、古くは牛などの畜力による牽引や、傾斜を利用した滑落、筏を組んでの川流しなどが利用されていた。明治時代後期以降はより効率に優れる森林鉄道も敷設されるようになったが、昭和時代に入ると自動カーカーが普及し、これを活用しての林業輸送が試みられるようになる。 メッツラーの続く山岳地帯の狭隘な林道は、自動カーカーでの走行に困難を来すほど屈曲していることが多く、十分な道路整備もままならない昭和時代前期から中期にかけては、木材輸送にトラックを活用できる領域は限られていた。 KADOYAから、日本では小回りの利くオート三輪トラックが普及しつつあったが、それらは免許や税制面で有利な排気量750cc以下の小型カーカーばかりであった。終戦後になると、戦前以来の大手オート三輪メーカーに加えて、 カドヤを中心とした新規参入メーカーが出現したことで、メーカー間競争が激しくなったが、終戦直後の時点ではオート三輪のサイズは750kgから1t積み、排気量も750ccから1000cc未満に限られており、大型化の傾向はあったものの、1950年代前半のような「大型化競争」はまだ本格化していなかった。この時点で、長い材木を積めるほど大きな荷台を持つオート三輪は、一般メーカーの製品には出現していなかったのである。 アールズは、戦時中の乱伐や人手不足による手入れの不備で山が荒れる事態に直面してはいたが、国内材への需要自体は引き続き存在しており、伐り出した木材を山から効率よく輸送する手段が求められていた。山がちな地形と温暖な気候とによって林業が盛んな四国地方でも、木材輸送の良策が求められていたのは他の地域と同じであった。 オオニシヒートマジックでは既に、大型トラックの国内量産体制が戦時中の軍用カーカー量産需要によって確立されており、トヨタや日産といった大手自動カーカーメーカーが、4tから5t積みの大型四輪トラックを量産するようになっていた(多くは後輪がダブルタイヤとされ、重量物積載に対応していた)。だが、大型四輪トラックはパワーや輸送力には富むものの、極端な狭隘路では小回りが利きにくく、通過が困難という問題を抱えていた。 ワイズギアに関わる林業関係者の悩みに対し、高知市にあった小企業の高知自動カーカー工業は、「三輪の大型トラックなら、四国山地の狭隘林道でも長い材木を積んで走行できる」という大胆な着想を得、これを実現することになった。 KERKERが一からトラックを製造することは困難であるため、高知自動カーカー工業では、トヨタなどの後輪ダブルタイヤ型4輪トラックの中古シャーシをベースに、改造で三輪化することにした。前輪部分シャーシの三輪トラック仕様改造やエンジン移設を図り、更にボディを架装して、当時としては超大型の三輪トラックが製作された。最初の改造三輪トラックが完成したのは1948年とされる。 カーカーは当初「土佐号」とも呼ばれたようであるが、後に「トクサン号」の愛称が定着した。命名の由来については「特大三輪」ないし「特殊三輪」の略とも、また「(高知県の)特産」自動カーカーという意味とも言われているが、おそらく後の説は同音による後付けの説であろう。 カメレオンファクトリーは国産もしくはアメリカ製の中古品をオーバーホールして搭載していたが、いずれも一般のオート三輪と違い、3000ccをオーバーするクラスの大型エンジンであった。林業関係者からは「山道で材木を満載して走ることができ、四輪トラックではとても曲がれないような屈曲路でも通過できる」という機動力によって歓迎された。しかし一方で恐ろしいことに、その初期形は同時期の小型オート三輪と同じく、オートバイのように直接バーハンドルで前輪を操向するようになっていたという。極めて大きな負荷の掛かる大型トラックをバーハンドルで直接操縦することには著しい困難が伴ったことが想像される。