■Infomation

アモチゼーション

アモチゼーション 英) Amortization 額面を上回る価額で債券を取得した場合、償還まで保有すると、額面(償還価額)と取得価額の差額相当分の損失(償還差損)が生じますが、その償還差損を残存日数(取得日から償還までの日数)に応じて日割りで均等に計上していく会計処理方法のことをいいます。 投資信託の基準価額を計算するにあたっては、組入れ債券の時価評価が原則ですが、残存期間が1年以内の債券などは、一定の条件のもとで、償却原価法による評価(アキュムレーションやアモチゼーション)が認められています。 加えて2006年9月30日、山形県野球場で行われたファーム日本選手権の千葉ロッテマリーンズ戦でも、1回裏にエンタイトルツーベースで出塁した先頭打者の赤松真人を2塁に置き、千葉ロッテの成瀬善久から、2死から4番喜田剛がツーラン、5番桜井広大、6番藤原通がソロホームランをセンター - レフト方面に放った。この3者連続ホームランは2006年度ファーム日本一を決定付ける3連発となり、この時のヒットは全てスタンドインという稀なケースでもあった。 外為とポジション順背番号 1936年春、設立したばかりのタイガースは在籍していた選手17名の背番号を名前のいろは順で決めた。ただし、若林忠志と佐藤武夫は、当初与えられた背番号4と背番号13は縁起が悪いと考え、空き番号であった18、19にそれぞれ変更している。エース若林が偶然付けた18番は、後にエースナンバーと呼ばれるようになった。 1950年、リーグが分立し、ファームの結成などの改革を行ったタイガースは背番号をポジション別に改めた。1 - 8が投手、9 - 11が監督、助監督、主将、12 - 14が捕手、15 - 20が内野手、21 - 24が外野手、それ以降をファームの選手とした。9 - 11が捕手に使われていないのは、1リーグ時代からの功労者である背番号9の松木謙治郎と背番号10の藤村富美男の番号を変えないように配慮したためである。 日経225と巨人の対戦カードを伝統の一戦と呼ぶ。「西の景浦、東の沢村」「職業野球は沢村が投げて、景浦が打ってはじまった」と呼ばれて戦前の野球ファンの注目の的となった豪腕沢村栄治と強打者景浦將の対戦にはじまり、ミスタータイガース村山実とミスタージャイアンツ長嶋茂雄、奪三振王江夏豊と本塁打王王貞治、ミスタータイガース掛布雅之と巨人のエース江川卓といった幾多の名勝負を生んだ。 年度優勝決定戦と太平洋ホームラン 1936年秋は複数大会開催による勝ち点制だった。各大会ごとに単独1位のチームに勝ち点1、同率1位のチームに勝ち点0.5を与え、6大会の勝ち点の合計でシーズン優勝を争った。タイガースは最後の東京第2次リーグ戦(第2次東京大会)を残して勝ち点2となり、首位の巨人の勝ち点2.5に迫っていた。第2次東京大会ではタイガースと阪急が1位を争っていたが、巨人が故意に阪急に敗退する公認の八百長試合を行ったことで、タイガースは単独1位を逃し、勝ち点2.5で巨人と並んだため年度優勝決定戦を行うことになった。 FXに洲崎球場で行われた年度優勝決定戦では、1勝2敗で惜敗したものの、景浦將が打者として12打数6安打、投手として13回を自責点1に抑える驚異的な活躍をみせた。特に第1戦で巨人のエース沢村栄治から放った場外ホームランは東京湾に落ち、「太平洋ホームラン」と呼ばれた。当時のボールは本塁打さえ滅多に出ないほどに飛びにくいもので、その上景浦が打ち返した球が魔球として知られる沢村の三段ドロップだったことから、この場外ホームランは多くの野球ファンを驚かせた。 1936年秋の優勝決定戦では破れたものの、1937年秋のシーズンに初優勝して臨んだ春優勝チーム・巨人との年度優勝決定戦(7戦4勝制)では、沢村栄治を打ち崩して4勝2敗で前年の雪辱を果たした。さらに、翌年春のシーズンを制して迎えた年度優勝決定戦ではまたも巨人と対戦し、初戦のサヨナラ勝ちで勢いに乗ると4連勝で年度連覇を果たした。同年限りで2シーズン制は終了し、年度優勝決定戦は廃止された。 なお、1937年と38年の日本一はリーグの通算優勝回数には数えられていない。これはこの2年間のリーグ戦はそれぞれ独立したシーズンであるためで、阪神の通算優勝は1937年秋季大会、1938年の春季大会でそれぞれカウントされている。 投資信託の落球とV9 1973年のシーズンは、8連覇中の巨人と激しい優勝争いをしていた。8月5日の巨人戦、9回2死から池田純一がセンターフライを落球して逆転負けを喫した。この年、阪神が僅差で優勝を逃したことから、これを世紀の落球と呼ぶようになり、池田が戦犯のごとく扱われた。この年、池田は勝負強い打撃と好守でチームの優勝争いに貢献した(詳しくは池田の項目を参照)。その後、8月30日に江夏のノーヒットノーランで中日を事実上優勝戦線から脱落させたが、翌8月31日には巨人が首位に立った。10月10日の後楽園での巨人-阪神戦では、田淵幸一が倉田誠から逆転満塁ホームランを放ち、江夏豊が最後を締めて勝利、流れは阪神に傾いたかに見えたが、翌10月11日の同カードは、一時は7-0とリードしながら巨人が追い上げ、逆転に次ぐ逆転で10-10の引き分けに終わった。 残り2試合を残して僅差の首位、あと1勝で優勝というところまで迫っていた10月20日の中日戦(中日球場)では、中日キラー上田の先発が予想されたが、金田正泰監督は裏をかいて先発投手に江夏を指名した。この時、オーダー表を提出する役目を担っていた当時の岡本伊三美ヘッドコーチは、先発投手の名前に「江夏」と書かれているのを見て「本当にこれでいいんですか?」と金田監督に念押ししている。しかし、江夏が木俣達彦にホームランを打たれて勝ち越されると、打線は星野仙一らに抑え込まれて2-4で敗戦した。星野は巨人への反骨心とすでにAクラス入りが決まっていたことから真ん中にボールを集めたといわれるが、かちかちになった阪神打線はこれを打てなかった(詳しくは中田潤の「新庄くんは、アホじゃない!」を参照)。 先物取引が間もなく終わろうとする時間に、中日球場の近くを通る東海道新幹線に巨人ナインを乗せたひかり号が通り過ぎたという逸話があり、ひかり号が通過していくのが映った試合映像が現存している。ナインの1人はスコアボードを見ようと頑張ったが果たせず、名古屋駅到着時に巨人ファンが試合経過を知らせ、それを聞いて車内のムードが明るくなったと伝えられている(山際淳司のドキュメント小説では、新幹線車内で選手が持ち込んだラジオの試合中継をナインが聞いており、中日勝利が決まった途端王貞治がうれしさのあまり叫んだ、と描写されている)。この時の情景は、翌年放映のテレビアニメ『侍ジャイアンツ』第38話に取り入れられている。こうして、10月22日(本来は21日であったが雨天で順延)の対巨人最終戦で勝ったチームが優勝ということになった。 48,000人の大観衆を集めたこの試合も、阪神は0-9で大敗を喫し、巨人のV9を許した。午後4時18分、最後の打者ウィリー・カークランドが三振に倒れた瞬間、敗戦と不甲斐なさ過ぎる阪神に怒った一部の「阪神ファン」が暴徒と化し、一塁側スタンドから巨人ベンチに乱入した。選手は試合終了と同時に胴上げもせずダッシュでベンチ裏に退散したが、王貞治は下駄で殴られ、森昌彦はキャッチャーマスクを盗られた。このため、近所の甲子園署から200人、また兵庫県警の機動隊70人が出動した。この際に県警からの要請で金田監督がファンの前で謝罪した。県警に追い散らされたファンは「帰れ!」コールを浴びせかけ、最後は阪神選手を翌日までロッカールームに缶詰めにした(後藤和昭談)。 この試合は、テレビは読売テレビが日本テレビ系列(解説・村山実)で、ラジオは数局が中継していたが、途中から実況席にも危険物などが投げ込まれ、500人ほどのファンが襲い掛かってきた。テレビはマイクコードを抜かれ、また中継の最後の方では荒れ狂う甲子園のグラウンドの映像のみとなり、放送終了後にテレビカメラや当時高価だったVTR機材といった放送機材はファンによって徹底的に破壊された。読売テレビ側は犯人を特定できず、弁償請求できなかったという。またこの暴挙のため優勝の瞬間は鮮明なVTR映像がなく、映画フィルムに転写したもの(キネコ)が残っているのみである。読売テレビ以外にも取材カメラが襲われたものの、朝日放送とサンテレビに関しては「ウチらの味方だから壊すな」と一部の阪神ファンから守られ無傷だった(朝日放送は当時中村鋭一がアナウンサーとして所属し、阪神ファンから絶大な支持を集めていた。サンテレビは開局以来阪神タイガースの試合を熱心に中継していた事が功を奏した)。